三淵嘉子の死因は骨肉腫!晩年は夫三淵乾太郎と闘病生活だった?

三淵嘉子の死因は骨肉腫!晩年は夫三淵乾太郎と闘病生活だった?

2024年4月からスタートした朝ドラ「虎に翼」は日本で初めて女性の弁護士となった三淵嘉子さんがモデルとなってますね!

そして三淵嘉子さんがどのような最期だったのか、晩年や死因が気になっている人が多いようです。

この記事では、

  • 三淵嘉子さんの死因はなに?
  • 三淵嘉子さんの晩年はどうだったの?

などについてリサーチしてまとめました。

三淵嘉子さんも夫の三淵乾太郎(みぶちけんたろう)さんも晩年は体調を崩して大変だったようですよ。

朝ドラ虎に翼のネタバレになる可能性がありますので、ご注意ください!

目次

三淵嘉子の死因は骨肉腫!

三淵嘉子さんの死因は骨肉腫です。(享年69歳)

三淵嘉子さんの死因は転移性の骨がんとも言われることがあるわ。

1983年2月頃、三淵嘉子さん68歳のときに肩が痛くなり、3月には胸骨に痛みが走るようになったので病院で検査を受けました。結果「骨肉腫」が発覚しています。

1984年5月28日、三淵嘉子さん69歳のときに病院で家族に見守られながら逝去されました。

亡くなるにはまだ早い年齢ですよね。

骨肉腫は骨に発生する悪性腫瘍(がん)の一種で、非常に稀な希少がんです。

骨肉腫はひざ周りや肩のあたりに発生することが多いようで、三淵嘉子さんも初めに痛みを感じた場所は肩でした。

三淵嘉子さんの父親・武藤貞雄さんの死因は肝硬変で(享年61歳)、母親・武藤ノブさんは脳いっ血で亡くなった(享年55歳)ということですから、骨肉腫は遺伝というわけではなさそうです。

三淵嘉子さんの父親も母親も三淵嘉子さんが37歳のときに早い年齢で亡くなっているんですよね。

朝ドラ虎に翼では父親(岡部たかしさん)が亡くなったので、母親(石田ゆり子さん)が今後どうなるのか心配なところです。

三淵嘉子の晩年は夫三淵乾太郎と闘病生活?

三淵嘉子さんは最初の夫・和田芳夫さんの死から10年後に三淵乾太郎さんと再婚されてます。

お互い再婚で、三淵嘉子さんは41歳、三淵乾太郎さんは50歳と9歳の年の差がありました。

三淵嘉子さんには息子・芳武が一人(再婚時は中学生)、三淵乾太郎さんには前妻との子供が4人いたのよ。

三淵嘉子さんと三淵乾太郎さんの馴れ初め

三淵嘉子さんが名古屋から東京へ異動になり、裁判官としての生活をスタートさせた頃、三淵嘉子さんの判事室をたびたび訪れていた男性が三淵乾太郎さんでした。

*朝ドラ虎に翼で三淵乾太郎さんは星航一(岡田将生さん)にあたると思われます。

1962年 これまで裁判官として活躍していた三淵嘉子さん(48歳)ですが、東京家庭裁判所に異動。

1972年 三淵嘉子さん(58歳)は新潟家庭裁判長(初の女性裁判長)となったため、新潟に1年半ほど単身赴任することになります。その後浦和、横浜と転々としています。

裁判官の三淵乾太郎さんは3年ごとに転勤があったから、三淵嘉子さんとはあまり一緒に暮らせてなかったみたい。

夫・三淵乾太郎さんも東京、甲府など3年ごとに転勤していたため、三淵嘉子さんとはすれ違いの生活でした。

そんなときに活躍したのが小田原にある甘柑荘(かんかんそう)です。

甘柑荘

神奈川県小田原市板橋822

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